相続人が複数いる場合、預貯金や不動産などの財産については、遺産分割協議によって「誰が何を取得するのか」を決めることができます。
では、被相続人に借金やローンなどの債務があった場合はどうでしょうか。
「長男が不動産を取得する代わりに、被相続人の借金も全部負担する」
「相続財産を取得しない次男には、借金を負担させたくない」
このような取り決めを遺産分割協議書に記載することはできるのでしょうか。
結論からいうと、相続債務は、通常の遺産分割の対象とはなりません。
もっとも、相続人同士で「誰が最終的に負担するのか」を決めることはできます。
ただし、ここには非常に重要な注意点があります。
相続人同士で「Aが全部払う」と決めただけでは、債権者に対して「BとCはもう支払義務がありません」と主張できるわけではありません。
この点を、具体例を使って分かりやすく解説します。
目次
- 相続債務とは?
- 相続債務は遺産分割の対象になる?
- なぜ相続債務は遺産分割の対象にならないのか
- 相続人が複数いる場合、借金は誰が負担する?
- 遺産分割協議書に「長男が借金を負担する」と書ける?
- 相続人間の合意だけでは債権者に対抗できない
- 債権者が承諾すれば一人だけの債務にできる?
- 「免責的債務引受」とは?
- 具体例で確認
- 遺産分割協議書に記載する場合の注意点
- 相続債務についてよくある誤解
- まとめ
1.相続債務とは?
相続では、預貯金、不動産、株式などのプラスの財産だけではなく、被相続人が負っていた一定のマイナスの財産も問題になります。
例えば、次のようなものです。
| 相続債務の例 | 内容 |
|---|---|
| 🏦 銀行借入 | 被相続人が銀行から借りていた借金 |
| 🏠 住宅ローン | 住宅ローンの残債など |
| 💳 カードローン | 被相続人の借入残高 |
| 💰 個人からの借金 | 親族・知人などからの借入 |
| 📄 未払金 | 被相続人が死亡時点で負っていた未払債務 |
| 🧾 損害賠償債務 | 相続の対象となる一定の損害賠償債務 |
ただし、すべての「死亡後に発生する支払い」が相続債務になるわけではありません。
また、保証債務や税金などについては、それぞれ個別の検討が必要です。
そのため、「被相続人が死亡した後に請求されたものだから全部相続債務」という単純な判断は避ける必要があります。
2.相続債務は遺産分割の対象になる?
ここが今回の一番重要なポイントです。
原則として、被相続人の金銭債務などの可分債務は、遺産分割の対象にはなりません。
裁判所も、被相続人の債務は相続開始によって法定相続分に応じて当然に分割されるため、原則として遺産分割の対象にはならないと説明しています。
つまり、
財産
「この不動産は長男が取得する」
「預貯金は長女が取得する」
というように、遺産分割協議によって具体的な取得者を決めます。
一方、
債務
「この借金は長男が相続する」
と決めたからといって、それだけで債権者との関係まで変わるわけではありません。
ここがプラスの財産とマイナスの債務の大きな違いです。
3.なぜ相続債務は遺産分割の対象にならないのか
例えば、被相続人に600万円の借金があり、相続人が長男・次男の2人だったとします。
一般的な法定相続分がそれぞれ2分の1であれば、金銭債務は相続開始により原則として各相続人にその相続分に応じて承継されます。
イメージすると次のようになります。
| 相続人 | 相続分 | 原則として承継する債務 |
| 長男 | 1/2 | 300万円 |
| 次男 | 1/2 | 300万円 |
| 合計 | 1 | 600万円 |
このように、金銭債務などの可分債務は、相続開始によって法律上当然に分割されるとされています。
したがって、通常の遺産分割協議で「600万円の借金を長男が取得する」という形で、債務そのものを財産と同じように分割するものではありません。
4.相続人が複数いる場合、借金は誰が負担する?
ここで注意したいのが、
「法律上の債務の承継」と「相続人同士の内部的な負担」を分けて考えること
です。
例えば、長男・次男の2人が相続人で、600万円の借金があるとします。
長男が不動産を取得する代わりに、
「借金については長男が全部支払う」
と兄弟間で合意することはできます。
この場合、
相続人同士の関係
長男
→ 600万円を最終的に負担する
次男
→ 長男との関係では負担しない
という約束になります。
しかし、
債権者との関係
債権者から見ると、
「長男と次男の間でそういう合意をした」
だけでは、次男が債権者に対して負う債務まで当然に消滅するわけではありません。
裁判所も、
特定の相続人が債務を相続する旨の合意は、あくまで相続人間の内部関係を決めたもの
であり、その内容を債権者に主張できるわけではないと明確に説明しています。
5.遺産分割協議書に「長男が借金を負担する」と書ける?
書くこと自体は可能です。
例えば、相続人間の内部関係を明確にする目的で、
被相続人の債務については、相続人甲がこれを負担するものとし、相続人乙及び丙に負担を生じさせないものとする。
といった条項を設けることが考えられます。
ただし、この条項の意味を誤解してはいけません。
この条項によって、
「債権者に対する債務者が甲だけになった」
ということにはなりません。
あくまで、
「相続人間では甲が最終的に負担する」
という内部的な合意です。
6.相続人間の合意だけでは債権者に対抗できない
ここは非常に重要です。
例えば、
被相続人
600万円の銀行借入
相続人
長男A
次男B
遺産分割協議
「銀行借入600万円は長男Aが全額負担する」
としたとします。
この場合、
AとBの間では、Aが600万円を負担するという合意が成立します。
しかし、銀行がその合意を承諾していなければ、
「Bはもう銀行に対して何も支払う必要がない」
とは当然にはなりません。
裁判所もこの点について明確に、
相続人間の合意だけでは、その内容を債権者に主張することはできない
としています。
したがって、
❌ 誤った理解
遺産分割協議書に「長男が借金を負担する」と書いた
↓
次男は銀行に対して完全に債務から外れた
⭕ 正しい理解
遺産分割協議書に「長男が借金を負担する」と書いた
↓
相続人間では長男が負担することになった
↓
しかし債権者との関係では別問題
↓
次男を債務から免責するには、債権者との手続が必要
ということになります。
7.債権者が承諾すれば一人だけの債務にできる?
はい。
ただし、法律上は「債権者が承諾すればいい」というだけでなく、免責的債務引受として整理するのが正確です。
民法472条では、免責的債務引受について、
- 引受人が元の債務と同一内容の債務を負う
- 元の債務者は債務を免れる
という仕組みが定められています。
さらに、
債務者と引受人が契約をし、債権者が引受人に対して承諾する
という方法も認められています。
したがって、相続人A・Bがいる場合、
AがBの分も含めて債務を引き受け、Bを債務から外す
という処理をするのであれば、債権者との間で免責的債務引受を成立させることが考えられます。
8.「免責的債務引受」とは?
免責的債務引受とは、簡単にいうと、
これまで債務を負っていた人を債務から外し、別の人がその債務を引き受ける仕組み
です。
例えば、
変更前
銀行
↓
A・Bが債務を負っている
↓
免責的債務引受後
銀行
↓
Aだけが債務を負う
B
↓
債務から免責
という形です。
民法472条では、免責的債務引受について、債権者と引受人との契約による方法のほか、債務者と引受人との契約に債権者が承諾する方法も定められています。
9.具体例で確認
ケース① 相続人間だけで「長男が払う」と決めた
被相続人に600万円の借金。
相続人は長男A・次男B。
遺産分割協議書に、
「被相続人の債務については、長男Aが全額を負担する。」
と記載。
結果
| 関係 | 結果 |
| AとBの関係 | Aが負担するという合意が成立 |
| 銀行との関係 | Bの債務が当然に消えるわけではない |
| 銀行への対抗 | 原則としてできない |
したがって、これだけではBを完全に債務から外したことにはなりません。
ケース② 銀行も承諾した
今度は、
- AとBが「Aが債務を引き受ける」と合意
- 銀行がAによる債務引受を承諾
という手続きを行ったとします。
この場合、民法472条に基づく免責的債務引受として、Bを元の債務から免責することが可能になります。
結果
| 関係 | 結果 |
| AとB | Aが債務を引き受ける |
| 銀行とA | Aが債務者 |
| 銀行とB | Bは免責される |
| 最終的な債務負担 | A |
このように、債権者の関与によって、相続人間の内部的な合意を債権者との関係まで反映させることができます。
10.遺産分割協議書に記載する場合の注意点
実務上は、債務について記載する場合、
「債務を相続人Aが取得する」
という表現だけにしてしまうよりも、相続人間の内部負担を定める趣旨であることが分かるようにすることが重要です。
(ただ、実際は簡単に表現する形が多いかと思います。)
例えば、
被相続人の債務については、相続人甲がこれを負担するものとし、相続人乙及び丙との間では、甲がその全額を最終的に負担するものとする。
といった書き方が考えられます。
ただし、これだけで債権者との関係が変更されるわけではありません。
そのため、より丁寧にするなら、
なお、本条の定めは相続人間の内部関係における債務負担を定めるものであり、債権者との関係における債務者の変更については、別途、債権者との間で必要な手続を行うものとする。
とする方法もあります。
ただし、実際の遺産分割協議書では、債務の種類や債権者との交渉状況などによって適切な条項が変わります。
11.相続債務についてよくある誤解
❌ 誤解①「遺産分割協議書に書けば借金も自由に分けられる」
これは正確ではありません。
相続債務は、通常の遺産分割の対象とは異なります。
❌ 誤解②「長男が払うと書いたから、次男は銀行に払わなくていい」
これも違います。
相続人間の合意だけでは、債権者に対してその合意を主張できません。
⭕ 正しい理解
相続人間では、特定の相続人が債務を最終的に負担するという合意をすることができる。
しかし、
その合意を債権者との関係にも及ぼし、他の相続人を債務から免責させるためには、債権者の承諾等による免責的債務引受など、別途の手続が必要になる。
ということです。
12.「債権者の承諾」が重要な理由
債権者からすると、債務者が誰なのかは非常に重要です。
例えば、
Aは資産が1億円ある。
Bはほとんど資産がない。
という2人が相続人だった場合、
「Aが借金を全部負担する」という相続人間の合意があったとしても、債権者が当然にそれに拘束されるとすると、債権者の回収可能性が大きく変わってしまいます。
そのため、
相続人間で誰が負担するか
と
債権者から誰に請求できるか
は別問題として扱われます。
裁判所も、被相続人の債務の負担者について、相続人間の合意だけでは債権者に対抗できないという考え方を明示しています。
まとめ|相続債務は「相続人間」と「債権者」を分けて考える
相続債務については、次のように整理すると分かりやすいでしょう。
| 問題 | 原則 |
| 相続債務は遺産分割の対象? | ❌ 原則として対象外 |
| 相続人間で「Aが払う」と決められる? | ⭕ 可能 |
| 遺産分割協議書にその旨を書く? | ⭕ 可能 |
| その合意だけで他の相続人が債権者に対して免責される? | ❌ ならない |
| 債権者に対してもAだけの債務にできる? | ⭕ 債権者との手続が必要 |
| 代表的な方法 | 免責的債務引受 |
| 債権者の承諾による方法 | ⭕ 民法472条3項に規定あり |
つまり、
🟢 相続人同士
「Aが全部払う」
↓
🟡 遺産分割協議書
「Aが債務を負担する」と記載
↓
🔴 債権者との関係
それだけではB・Cは免責されない
↓
🔵 債権者との免責的債務引受
債権者が承諾等
↓
✅ 結果
Aだけが債務を負担し、B・Cを債権者との関係でも免責することが可能
という流れです。
相続債務については、「遺産分割協議書に書けるか、書けないか」だけで判断するのではなく、
①相続による債務承継
②相続人間の内部的な負担
③債権者との関係
④免責的債務引受
の4つを分けて考えることが重要です。
特に、相続人間で「長男が全部払う」と合意しただけで、他の相続人が債権者に対する債務から当然に解放されるわけではない点には注意しましょう。
相続債務の処理は、借入契約の内容、保証人の有無、担保の有無、債権者との交渉状況などによっても対応が変わります。
相続債務がある場合は、財産の分け方だけでなく、債権者との関係まで含めて整理することが大切です。
参考資料
- 裁判所「家事事件Q&A」― 被相続人の債務と遺産分割について
- e-Gov法令検索「民法第472条(免責的債務引受)」
- 法務省「債務引受に関する見直し」
- 裁判所判例資料 ― 相続債務の承継に関する裁判例
リンク先:行政書士が見た!“揉めない遺産分割協議書”を作るための実例ベスト5
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